9月21日に行われた下斗米伸夫さんのトーク概要を掲載したします(一部を加筆修正)
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●『大祖国戦争』雑感DSCN1672
先ずこの映画のタイトル、『大祖国戦争』です。『第二次世界大戦』ではない、この差異
に先ずご注目いただきたいと思います。この映画は見事な実写に基づくプロパガンダ映画です。ソ連に対するヒトラーの攻撃に始まり、1945年5月9日の赤の広場での有名なパレードで終わっている。つまり今ロシア大統領メドベージェフ氏が胡錦濤主席と確認した第二次世界大戦終結記念日の1945年9月2日ではない。またこの映画のシーンには伝説的なジューコフ将軍が白馬に乗って勝利を祝うシーンもなければ、スターリンが出ているわけでもない。大祖国戦争というキーワード、これはある意味でロシア人の戦争観を表すものです。

●スターリンの戦争
第二次大戦は周知のように1939年8月23日スターリンがナチス・ドイツと不可侵条約を結んで9月から始まる。ポーランドを分割し、バルト諸国を併合する傍ら赤軍がフィンランドに攻め入って1939-40年に大敗をする。「冬戦争」といいますが、フィンランドに攻め入ったソ連軍はフィンランド軍の猛烈な抵抗にあう。ソ連軍の大敗の程度は分からない。フィンランド軍で死んだ人は2万5千人から5万人くらい、ソ連側は公式的には13万から20万というのがなくなったと発表されています。フルシチョフはある時「100万人のソ連軍が死んだ」と口走ったことがあります。これは過ぎかと思うのですが、理由のないことではありません。実は中央アジアのタジキスタンの兵士を冬のフィンランドに連れていった。スキー部隊もなかった。そういうことを1939-40年にやって、逆に世界中がソ連を批判、1935年にくわわった国際連盟から排除される。これが第二次世界大戦の前半で、そして後半が1941年6月からの独ソ戦、これを大祖国戦争というわけです。

●ドイツ軍のモスクワ侵攻
不可侵条約があったドイツが1941年6月22日、ちょうど夏至の日、作家ボイノビッチ『最も短い夜』といった日ですが、裏切って戦争を開始する。モスクワのシェレメチェボ空港から一寸入ったところにあるヒムキやモスクワ大学近くまでナチス・ドイツがやってきた。これにスターリンはショックを受けて一週間ほど寝込んでしまった。スターリンが開戦直後全然戦争指導ができなかったというのは間違いで、おそらく最初の数日間はまだクレムリンに踏みとどまった。しかし赤軍が大敗し、次々に何百万という単位で投降してゆく、そのプロセスにスターリンがショックを受けて寝込んでしまったのは事実です。
それから6月末政府の最高軍事指導部である国家防衛委員会を創設するということを伝えに、モロトフやミコヤンがスターリンの別荘に行ったとき、スターリンは自分を逮捕に来たと勘違いした、とミコヤンは回想録で書いております。
スターリンと将軍たちと民衆との一体というこの映画のナレーションは勿論フィクション・宣伝であります。
 たとえばフルシチョフは、この戦争の時スターリングラード攻防戦の政治委員として、指導していました。天才的な戦争指導者と宣伝されていたスターリンが、何の防御もせずにヒトラーの攻撃を易々と許し、初戦で大敗したという暴露を、有名なスターリン批判の第20回党大会(1956年)でやった。例えば共産党幹部たちが粛清されたとかいろいろ言うのですが。この批判に恐らくソ連国民、あるいは世界中で一番びっくりしたのは、毛沢東や朱徳など中国共産党でしょう。20回党大会に出席して、スターリン批判をフルシチョフが始めるというのに大変ショックを受けるわけですね。
 この映画で交響曲レニングラードが出てきます。作曲家ショスタコーヴィチの回想を書いたとされるボルコフによると、1937年にスターリンによって粛清されたソ連の元帥トハチェフスキーに捧げられたという説がある。歴史にifはないのですが、もしトハチェフスキー等の赤軍幹部が生きていたら、スターリンは、あるいはヒトラーはこういう戦争をやっただろうか、という話があるわけであります。あるいは今この映画の中でたくさんの死体・死者をみたわけですが、実はこの十年前に、1932年から33年にかけてスターリンは国を工業国家に仕立てようとして、それまでに始めていた工業化5か年計画を3か年に縮め、無理矢理工業化を加速した。農民を犠牲にしてトラクターを作った。トラクターは一寸仕様を変えると戦車工場になる。その犠牲者の出たウクライナやロシア南部地域は戦時中スターリンに批判的であったとしても不思議でっはない。そこにナチが侵入してきた。
独ソ戦は簡単に言うと、ドイツの誇るルール炭田・クルップ製鉄所と、ソ連が誇ったマグニトゴルスクス製鉄やクズネツ・ドンバス炭田との体力勝負だったわけです。実は18世紀のロシアには世界最大級の製鉄所がウラルにあったわけです。ロシアは決して貧しい農民国ではなかったが、スターリンの工業化は、一方で農民を敵に回しながら、他方で巨大な軍需工廠作り上げた。

●大祖国とは?
この映画の言う大祖国、祖国とは何か。実はこの映画の中にヒントがあります。ボルガ、つまり母なるボルガを守って、そしてドニエプルを越えて、ベルリンまで反撃するというキーワード。このドニエプル川と、キエフですね、それからボルガ。ボルガ川はモスクワの北を通って今のタタール共和国あたりまでです。ルーシとはもともとボルガとドニエプル川に挟まれた地域をいった。ボルガにはさらにタタールもあった。ロシアの将軍たちの多くはタタール人です。クトゥゾフだとかナポレオンをやっつけたのはタタール人。今でもロシア軍の将校にはかなりタタール人がいます。スターリンは戦争中モスクワを離れませんが、首都を臨時にクイブシェフと言った町に置きます。クイブシェフは今サマーラと言い、イタリアの有名な自動車工場があります。その南にあるのが母なるボルガのスターリングラード。モスクワ、レニングラード、スターリングラード、母なるボルガ、そしてドニエプル川、この地域を守る戦いが大祖国を守る戦いです。ロシア兵たちはこのためにだったら命懸けです。後年、大祖国戦争への評価が変わり、フルシチョフ時代には死者が千万単位で言われたことがあります。赤軍の名簿によると戦死者の数は886万人くらいですが、しかしブレジネフ時代には2,000万人死んだ、そしてゴルバチョフがドイツ統一を認めるころに2,700万人が死んだと言われるようになりました。恐らく本当のことは誰にもわからないであろうと思います。

●スターリンの過ち
スターリンはその十年前、東に満州国ができ、西に1933年ヒトラーが出てきて両方に挟み撃ちにされるという恐怖から、ウクライナなどで農民を犠牲にしても工業化を強行します。国交がなかったアメリカと組むためにジョージ・ケナンだとかそういう人を通して、民主党のルーズベルトと手を組み日本を牽制させる。ヒトラー=ドイツの台頭に対しては英仏と組む。国際連盟に入り、統一戦線戦術でソフト路線を出す。
しかしスターリンの犯した過ちは、映画に見えますが第二次世界大戦のいろんな局面に現われている。例えばドイツ軍がウクライナに入ってきた時、ウクライナ農民はそれまでのスターリンの飢餓で700万人程度死んだこともあってナチを解放者と歓迎します。もっともヒトラーのスラブ人劣等民族論からウクライナ人の態度はすぐに変わりますが。反攻計画がスターリングラードから始まる、しかしウクライナのキエフは44年まで解放されない。この背景に何があるかというと、ウクライナ農民の複雑な感情がある。農民が餓死した経験は消えないし、総力戦では民衆の態度が鍵になる。ここはコサックの村です。コサックというのはボルガとウクライナの間に暮らしていました。
スターリンのこの工業化と飢饉に1933~34年に赤軍はかなり動揺するわけです。スターリンというグルジア人を指導者にするのはまずい、という地方幹部の一部がセルゲイ・キーロフというロシア人を代わりの書記長にしようと、1934年の第17回党大会で現れる。これは歴史的に証明されています。
スターリンは1936~37年のスペイン内戦でも、赤軍の十月革命かなんかで最もラディカルにやった革命家や、ゾルゲを東京に派遣したベルジンなどを送り込んだ末に粛清した。またこの戦争では武器代金のかわりに共和国政府の金をとったということを英国の歴史家のビーヴァーが「代理世界戦争」と言っております。そのあまりにも稚拙で暴力的なやり方にイギリスの指導部は驚いて、スターリンの外交政策に批判的になり、そのこともあって宥和政策で親独的に傾いた。

その2へつづく